親権者監護権者の変更(判例)

子の利益のため必要があると認めるときは、家庭裁判所は、子の親族の請求によって親権者を他の一方に変更することができる(民819条6項)。
親権者の変更は義務の放棄を含むので、親権者の指定と異なり、父母間の単なる協議ではできず、必ず家庭裁判所の審判あるいは調停によらなければならない(家審9条1項乙類7号・17条)。
監護者についても、子の利益のため必要があると認めるときは、家庭裁判所は監護者を変更することができる(民766条2項)。民法と家事審判法によれば、監護者の変更も親権者の変更と同様に、審判と調停による方法しか予定されていないようにも読めるが、監護者は戸籍の記載事項ではなく、また親権者の存在を前提とした監護権のみの問題であるので、父母の協議による変更も有効である。
変更が認められるには、先になされた指定の後の「事情の変更」を要する。

母と親権者として離婚した後、子の監護場所が数度変更し、父からの親権者変更申立がなされ、親権者を父に変更し、監護者を母と指定した例
[裁判所]東京家裁
[年月日]2003(平成15)年3月25日審判
[事実の概要]協議離婚時に母を親権者とした。離婚時には女児は4歳。父との面接は続けられていた。子の遠足の支度を忘れるなど母の監護にも問題があり、7歳の頃に自分で父方に行った。父が親権者変更を申し立て、母も賛成の意向をしめしていたが、母は意向を変更し母方に連れてかえった。
[判決の概要]
「事件本人の今後の成長過程を考慮し、より安定した監護を期待できるのは申立人(父)であり、親権者を変更する理由があるというべきである。しかしながら、事件本人が申立人及び相手方(母)を慕う気持ちに優劣はなく、現在、事件本人は、自分のために相手方が頑張ってくれていると感じ、当面相手方のもとで生活することを希望している。相手方も、従前より事件本人中心の生活を心がけていることが認められ、申立人との面接交渉についても、本件期日において、事件本人の監護を継続することになるのであれば、面接交渉が円滑に実施されるよう努力する旨述べるなど、より子の福祉に適う配慮をしていることがうかがわれる。事件本人の上記心情を尊重し、短期間に監護環境が変わることによる事件本人の負担を考慮すると、現段階で、監護者をも申立人に変更することは相当でなく、相手方が監護している現状を維持したうえで、申立人と事件本人の面接交渉を継続させることによって、より事件本人の心情の安定をはかることが相当である。」として、親権者は父に変更し、母を監護者として指定するとした。

★子が何度も往復せざるをえなかったのは子にとって負担な面があるが、双方面接交渉を自由に認めあってきた経過があり(それなりに信頼関係がある)、このような親権・監護権分属の決定がなしえたようにも思われる。父が再婚したことで、母が子を引き取りたくなったという事情もあったようである。

母の不貞から婚姻が破綻し、子2人の親権者を父として協議離婚したが、母がその後も子ら(6歳4か月、3歳5か月)の監護を継続していたため、父から子の引渡しを求めたところ、母から親権者変更を申立てたという事案で、親権者変更は認めなかったが、母の親権者変更申立は監護者指定の申立を含んでいると解釈し、子の生活および情緒の安定、母親のきめ細かな養育監護の継続の必要性、父との面接交渉が期待できることなどから、母を監護者に指定し、父からの引渡し請求を否定した例
[裁判所]仙台高裁
[年月日]2003(平成15)年2月27日決定

当初は合意に反し父が5歳の子を奪取し、離婚判決は母を親権者として指定したが、約10歳になった子は母に拒絶感を有している事案で、その後の安定した生活期間の長さ、子の年齢によっては、現状尊重や子の意思が優先するとして父への親権者変更を認めた例
[裁判所]大阪高裁
[年月日]2000(平成12)年4月19日決定

約10歳の子の意思を尊重し、父への親権者変更を認めた例
[裁判所]大阪高裁
[年月日]2000(平成12)年4月19日決定
[事実の概要]
申立人父は高校教師。昭和62年2月に第1子(男)、平成元年10月に第2子(男)が生まれた。離婚の紛争中に、平成4年、父は無断で幼稚園にいた第2子を連れ出し父の養母に預けた。離婚判決は親権者を母と指定し母への引渡しが命じ、平成7年10月確定した。高裁の離婚判決時には子は5歳であった。その後、父からは親権者変更の申立、母からは引渡しにつつき間接強制の申立があり、1日2万円の割合の金員の支払いが父に対して命じられた。母は引き取りに行ったが実行できなかった。母は引渡しの強制執行(直接強制)を申立て執行官が出向いたが、事件本人は「母親とは思わない」「会うこともいや」と言い、引渡し不能となった。平成10年5月、父は事件本人の不安や緊張感が続く上に母へのマイナス感情がさらに増加して親子関係の改善が根本的に難しくなると判断しいったん親権者変更を取下げた。申立人は同年7月再婚した。父は平成10年12月、再び親権者変更を申立てた。事件本人は10歳、小学校4年であり、父の養母宅で暮らし、週末や長期休暇は父宅で第1子や父の再婚相手と4人ですごしている。本人は母と会うこと、いっしょに生活することをはっきり拒否し親権者変更を望んでいる。原審は、事情は大幅に変更されている、父の無断連れ去りや間接強制に従わなかったことは非難される行動であるとしながらも、事件本人の福祉を考慮し親権者変更を認めた。
[判決の概要]事件本人が現在の生活環境から引き離され、抗告人のもとに引き取られるのを強く嫌悪している状況下において、事件本人の福祉を唯一・最大限に考慮すると、親権者を父に変更するのが相当である。

★ 親権紛争は8年という長期に及んでいる。当初の奪取に問題があっても、長期化による生活の安定、子の明確な意見表明により、子の意思、現状が尊重された一例。
原審が、「事件本人に実母に対する負のイメージを抱かせ続けることは同人らの性格形成上弊害が大きく、監護を担う申立人はその解消に向けて努力」するようにと併記している。

父母双方から親権者変更が申立てられた例
[裁判所]京都家裁
[年月日]1999(平成11)年8月20日審判
[事案の概要]
離婚の前後を通じ、子の連れ去り、連れ戻しが繰り返されている例。離婚判決では、子Aの親権者が父、子B及びCの親権者が母とされた。母からAの親権者を母に変更し引き渡すことを求める申立、父からはBの親権者を父に変更する旨の申立がなされたが、緊張感を伴う母子関係に比し父とA、Bの関係は良好であること及び子らの意向を考慮し、母の申立を却下し、父の申立を認容した。

親権者母死亡後、父からの親権者変更が却下された例(祖母が後見人に)
[裁判所]福岡家裁小倉支部
[年月日]1999(平成11)年6月8日審判
[事案の概要]
離婚により未成年者の親権者となった母が死亡した後、未成年者の父から親権者変更の申立てがされた事案において、亡親権者母の母を後見人に選任することが相当であると認め、申立てを却下した事例

3歳女児につき親権者を父として離婚したが、その3週間後に母より真意でなかったとして親権者変更を申立てた事案で、母性優先の原理を尊重して変更を認めた原審を取り消し、双方の適格性に大きな差異はなく、女児のそれなりに安定した生活を短期間で覆し新たな監護環境に移すことはその心身に好ましくない影響を及ぼすとして、現状を尊重し、原審判を取り消し、母への変更を認めなかった例
[裁判所]仙台高裁
[年月日]1995(平成7)年11月17日決定

17歳の高校生が、自らの意思で親権者である父方から母方へ転居したが、転入手続に必要な書類に父が署名しないため転学できないでいたところ、母から親権者変更の申立て及び親権者父の職務の執行を停止し一時代行者として母を選任する旨の審判前の保全処分の申立てがなされ、認められた例
[裁判所]札幌家裁
[年月日]1992(平成4)年4月28日審判

親権者父が子らに暴力をふるったり、父の内縁の妻が子らに対し「出て行け」と怒鳴ったりし、子らは自己の意思で父方を去り母方で暮らすようになったところ、父が母に対し子の引渡しを求めたという事案において、原審は引渡しの申立てを却下したが、抗告審では、子の引渡しを認容すべきかどうかは親権者をいずれとするのかの結論に合致するよう処置すべきものであり、家庭裁判所の後見的機能からすると、親権者変更の申立てを母に促し併せて審理すべきとして差し戻した例
[裁判所]高松高裁
[年月日]1989(平成元)年7月25日決定

12歳と11歳の子を非親権者父が監護しており、子は母の元に戻る意思が全くなく父母の監護能力・環境に格段の差はないという事案で、父への親権者変更の申立てを却下した原審判を取り消し、差し戻した例
[裁判所]東京高裁
[年月日]1985(昭和60)年5月27日決定

離婚後10年近く非親権者母が養育してきたところ、母が、父から母への親権者変更申立事件を本案として、父について親権者の職務執行停止、職務代行者選任を申立てた事案において、父が監護の現状を無視して子の引取りを強行しようとしていること、父の養育能力の不存在、母方での安定した生活及び子の意思などを理由に、父の親権者としての職務執行を停止し職務代行者として母を選任した例
[裁判所]札幌家裁
[年月日]1983(昭和58)年6月7日審判

非親権者母が親権者父の親権行使に危惧の念をもち親権者変更の審判前の保全処分を申立てた事案において、父が親権者変更を回避する目的で子と後妻との養子縁組をするおそれがあるとして、親権者父の職務の執行を停止するとともに代行者を選任する審判前の保全処分を命じた例
[裁判所]金沢家裁
[年月日]1983(昭和58)年4月22日審判

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